万葉集に詠われたことで、有名になった真間の継橋!真間に住んでいた手児奈の影響もあって、万葉集ファンなどは一度は訪れたいスポットです。
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真間の継橋の場所とアクセスなど!
名称 | 真間の継橋(ままのつぎはし) |
場所 | 市川市真間4-7-23 |
アクセス | JR市川駅より徒歩15分 京成国府台駅、京成市川真間駅より徒歩10分 |
時間 | 終日 |
入場料 | なし |
問い合わせ | ー |
真間の継橋ってなに?
(真間の継橋)
こちらが、有名な市川市真間にあります、「真間の継橋」です。観光地というほどのものでもありませんが、知っている人は知っている、市川市では有名なスポットです。
(真間の継橋全体)
継橋という名前になっていますが、橋の下に水があるわけでもないですし、川が流れているということではありません。
では、この真間の継橋は何者なのでしょうか。
(真間の継橋説明案内板)
その昔、市川市北部の台地と、その南に形成された市川砂州との間には、現在の江戸川へ流れ込む真間川の河口付近から、東に向かって奥深い入江ができていた。
この入江を「真間の入江」と呼び、手児奈の伝説と結びつけて伝えられた「片葉の葦」やスゲなどが密生していた。
国府台に下総国府の置かれたところ、上総の国府とをつなぐ官道は、市川砂州上を通っていた。
砂州から国府台の台地に登る間の、入江の口には幾つかの洲ができていて、その洲から洲に掛け渡された橋が、万葉集に詠われた「真間の架け橋」なのである。
この継橋は
「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通わむ」(足音せずに行く駒が欲しい、葛飾の真間の継橋をいつも手児奈のもとに通いたいものだ)
の歌で有名となり、読み人知らずの歌ではあるが、当時の都びとにまで知れ渡っていたのである。
この真間周辺には継橋をはじめ、手児奈の奥津城(墓)、真間の井など、万葉集に詠まれた旧跡が多い。
これらの旧跡も歳月が経つにつれて、人びとの間から忘れ去られていくのであるが、これを憂えた鈴木長頼は、弘法寺の十七世日貞上人として議して、
元禄九年(1696年)その地と推定される位置に碑を建て、万葉の旧跡を末永く顕彰することを図った。
この碑が今に残る「真間の三碑」である。
真間の継橋は洲と洲を渡す橋だったのですね。しかも、この真間の継橋が有名になったのは、万葉集の歌の影響です。
この歌が有名になるほど手児奈は美しい女性だったんですね。
(歌碑)
(真間万葉顕彰碑(継橋))
案内文で説明されている通り、万葉顕彰碑(継橋)も継橋の辺りに現存しています。
真間の継橋に来たら寄りたいスポット!
万葉集「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通わむ」の歌で有名になった真間の継橋ですが、やはり手児奈がこの地にいたからこそ、この歌が有名になったのでしょう。
この手児奈は非常に美しい女性で、美しくも悲しいストーリーが語られ続けています。真間の継橋とは切っても切れない関係です。
そんな手児奈のお墓として、手児奈が祀られていて、安産・子育て、良縁のパワースポットが手児奈霊神堂です。
真間の継橋に来たら、寄らずにはいられないスポットです。
まとめ:万葉集ファンが遠方からも訪れる、一度は見ておきたい継橋
真間の継橋を見るだけであれば、そんなに時間はかかりません。超有名な観光スポットというものでもありません。
ただし、やはり万葉集が好きな人なら、一度は行ってみたいと思うスポットであります。
近くには手児奈霊神堂もありますので、手児奈の歴史を知った上で、真間の継橋の手児奈霊神堂を見るのが良いと思います。
市川市民の皆さんで、まだ見たことないという方は是非、訪れて見てください。