小出義雄死去!高橋、有森などを育てた平成の名監督が人生の幕を閉じた!

ショックなニュースが飛び込んできましたね。

あの高橋尚子や有森裕子をオリンピックメダリストに育てあげた、小出義雄監督が4月24日に亡くなったそうです。

千葉県浦安にあります、順天堂浦安病院でお亡くなりになられたそうです。

私は小出監督が厳しくもユーモアもあり、指導者として素晴らしい人物で好きだったので、亡くなったことは非常に悲しいです。

しかし、平成の名監督と呼ばれた男が、平成の時代のうちに人生の幕を閉じる!なんか格好いいとも感じました。


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小出義雄監督死去のニュース!

2000年シドニー五輪女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子さん(46)らを育成した元陸上指導者の小出義雄さんが24日、死去した。80歳だった。

小出さんは千葉県出身。順大で箱根駅伝に出場するなどした後、教員を23年間務め、1988年に実業団のリクルートの監督に就任した。

明るく豪快な性格と選手の素質を見抜いて褒めて伸ばす抜群の指導力で、マラソンで有森裕子さん(52)を92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅の2大会連続メダルに、積水化学に移籍した97年は世界選手権で鈴木博美さん(50)を金メダルに導いた。

2001年に佐倉アスリート倶楽部(AC)を創設、代表を務めた。04年から選手指導を委託されていたユニバーサルエンターテインメントとの契約が19年3月末で満了したのを機に指導者を勇退。

引用>>産経新聞

今の時代、80歳と聞くとまだまだ、若く元気な方が多い中、非常に残念ですね。

オリンピック女子マラソンで、有森裕子、高橋尚子と育てた平成の名監督です。

「俺は平成の監督だ。」と言わんばかりのタイミング、この令和へ突入しようとしたタイミングで、この世を去りました。

亡くなる間際まで、格好良さを感じます。ご冥福をお祈り申し上げます。

小出義雄の死因はお酒?病気?

先日、ご家族から、小出監督の死因は、肺炎と発表されていました。

肺炎とは、何らかの病原性微生物が肺に侵入したことで起きる急性の炎症です。

クリニックを訪れる多くの方の肺炎は「市中肺炎」に分類されます。

年齢・基礎疾患の有無・咳の強さ・胸部所見の程度をもとに、細菌性の肺炎なのか、それ以外の肺炎(非定形肺炎)かを大きく推定・鑑別し、それぞれに見合った抗生物質を投与します。

引用>>渋谷内科・呼吸器クリニックHP

 

過去に心疾患で緊急手術を受けたこともあり、指導者晩年には、入退院を繰り返していたと言われています。

てっきり心臓系のご病気なのだろうと思っていましたが、違ったようです。

心疾患には、脈の乱れを起こす病気(不整脈)や先天性の心臓病、心筋や心膜の病気などさまざまななものがあります。

その中で生活習慣が原因のものが虚血性心疾患です。 虚血性心疾患は、冠状動脈が動脈硬化のために細くなってしまい、心臓を動かしている心筋に酸素や栄養が十分に行き渡らなくなることが原因です。

引用>>スマートライフプロジェクトHP

 

また、小出監督はお酒が大好きで、毎晩、晩酌をすることが日課となっていたようですので、もしかして原因はお酒?とも思っていました。

体調を崩されてからは、お酒もタバコもやめていたようですが。

結果、死因は肺炎だったようです。ご高齢になると肺炎でも命を脅かす怖い病気です。

 

小出義雄のプロフィール

千葉県立山武農業高校卒業後、22歳で順天堂大学体育学部に入学。

箱根駅伝に3年連続出場(1年時の第38回は5区区間10位、2年時の第39回は8区区間3位、3年時の第40回は8区区間5位)。

1965年に順天堂大学を卒業。

保健体育教師となり、千葉県の公立高校教員に勤務。

千葉県立長生高等学校、千葉県立佐倉高等学校、船橋市立船橋高等学校で教鞭をとり、鈴木秀夫、河合美香らを育てた。

野木丈司は佐倉高校時代の教え子。鈴木大地は市立船橋高校時代の教え子であり、順天堂大学の後輩。

  • 1986年、第37回全国高校駅伝で市立船橋高校を優勝に導く。(2時間6分30秒、当時高校最高記録。)
  • 1988年、教職を辞してリクルート・ランニングクラブ監督に就任。
  • 1997年、リクルート部内の確執から積水化学工業に移籍し、女子陸上競技部監督に就任。
  • 2001年6月に佐倉アスリート倶楽部(SAC)を設立し、代表取締役兼現場監督に就任。
  • 2002年12月、積水化学を退社し、SACに専念。
  • 2019年3月、指導者業から勇退。
  • 2019年4月24日、死去。80歳没。

小出監督に育てられた主なマラソンメダリストたち!

有森裕子

バルセロナオリンピック女子マラソンで銀メダル。

アトランタオリンピック女子マラソンで銅メダル。

「初めて自分を自分で褒めたいと思います。」と泣きながら語った姿が印象的でしたね。

鈴木博美

世界陸上アテネ大会女子マラソンで金メダル。

高橋尚子

シドニーオリンピック女子マラソンで金メダル。

シドニーオリンピックで34キロ過ぎにサングラスを沿道に投げ捨て、ラストスパート!

レース後は「すごく楽しい42キロでした。」と笑顔のQちゃん。とても印象的でした。

千葉真子

世界陸上パリ大会女子マラソン銅メダリスト。

誰もが知っている選手ですね。世界のトップで活躍するこれらのアスリートを育てれ来られたんですね。

小出監督は有森裕子にしても、高橋尚子にしても、才能がないと言われた選手をオリンピックのメダリストに育てあげたすごい監督です。

私から見ると小出監督は天才としか言いようがないといいますか、もはや神です。

小出監督の元教え子達からのコメント!

「弱い私を育ててくださり、オリンピック、世界記録を出させていただいたのも小出監督のおかげ。1つ1つを振り返りながら、監督とお話をさせてもらいました」

と涙ながら話すのは、高橋尚子さん。千葉県佐倉市のご自宅に弔問された際に、取材に答えられていました。

高橋尚子さんが、最後に会った時には意識もしっかりしていて、小出監督が「俺もうダメだからさ。お前はこれからも輝いていけよ。」と話たそうですね。

最後まで、指導者としての器の大きさを感じます!

「『物事に意味がないものはない。どんなことが起きても、せっかく(故障したのだから)と(プラスに)思え』といわれて故障に立ち向かえた。監督からの一番の言葉だった」

と語ったのは、有森裕子さん。小出監督の教え子の中では長女となる教え子で、どんなに足が遅くても、根性でメダリストにまでなった名選手です。

「本当に頑張ったと思う。ただ、2020年はブツブツ言いながらでも、一緒に五輪のマラソンを見たかったな、と。上から見ておいてください」

と、小出監督に最後に伝えたいことを聞かれた有森裕子さんが答えた言葉!確かにもう少しで東京オリンピックでしたからね。

高橋尚子さんにしても、有森裕子さんにしても、感謝の言葉が多くて、信頼のあつい、情のあつい監督だったのだろうなと思います。

小出監督のご家族は?娘のコメント!

小出監督の家族構成

小出監督は奥様と娘3人の5人家族です。

奥様とは1971年にご結婚され、千葉県立長生高校時代の教え子のようです。10歳以上も年の離れた年の差カップルです。

今でこそ、年の差カップルは珍しくありませんが、当時としては、珍しいですね。

娘さんは3人いらっしゃるそうで、

Twitter情報では、体育教師をしている娘さんもいらっしゃるようです。

 

また、娘さんも、東京国際マラソンにも出場したことのある、マラソン選手だったそうです。

娘さんのコメント

「会話ができたのは、亡くなる3日前まで。入院当初は『誕生日(4月15日)まで生きられるかね~』って、父は冗談を言ったりしていたんです。無事に誕生日を迎えることができたときは、家族みんなで喜んだんですけどね」

(中略)

「父に『今日はお母さんの誕生日だよ』って伝えたときは、もううなづく程度しかできませんでした。でも、その2日ぐらい前まで話ができていたので、母にこれまでの感謝の気持ちをしっかりと伝えていましたね。

そして私たち娘3人に、『お母さんの誕生日には、俺の代わりにデパートに行って絶対にアクセサリーを買ってあげて』と。その後、『自分たちも好きなものを買ってきていいよ』と言ってくれました。」

引用>>livedoorニュース

 

娘さんの話では、入院中にお見舞いに来た教え子達に対しては、

「父は『俺が死んでも、絶対に泣くんじゃないぞ! 演歌でも聞きながら、みんな酒でも飲んで笑ってよ~』って(笑)」

引用>>livedoorニュース

とおっしゃっていたそうです。

娘さんのコメントでもわかるように、最後の最後まで、家族思い、そして、あの豪快に笑う底抜けの明るさがあり、本当にかっこいい男だと思います。

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小出監督の葬儀は佐倉市で!

小出監督の葬儀は4月29日(月)の午前9時から千葉県佐倉市大蛇町790の4にあります、さくら斎場で執り行われるとのことです。

喪主は妻の啓子(けいこ)さんです。

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